2008年7月30日水曜日

第一章 カッコウ

第一章  カッコウ 

カッコウは世界的に広く分布しており、単純でかつ美しい響きをもったその鳴き声は、だれが聞いても「カッコウだ」とすぐ分かるくらいポピュラーなものですので、古くから音楽の中にも広く取り込まれて来ています。例えば、ヘンデルのオルガン協奏曲第一三番ヘ長調「カッコウとナイチンゲール」では、第二楽章でカッコウとナイチンゲールの掛け合いが聞けます。ベートーヴェンの「田園」交響曲でも、他の小鳥たちの声と一緒にカッコウの鳴き声が聞こえます。第五番ハ短調の交響曲ですら、「運命が扉を叩く」音として知られている冒頭の三つのGと一つのEフラットも、Gの音が一つならば立派なかっこうの鳴き声で、事実、ベートーヴェンはかっこうの声から、この冒頭のテーマのヒントを得ているとする説もあるようです。ディーリアスには「春最初のかっこうを聞いて」と言う、春初めてカッコウを耳にした時の喜びをそのまま曲にした作品もあります。マーラーの最初の交響曲「巨人」の中では、カッコウは少し調子のはずれた声で鳴いています。 

カッコウ(Cuculus canorus)はホトトギス科の鳥で、日本にいる仲間としては、ツツドリ(Cuculus saturatus)、ホトトギス(Cuculus poliocephalus)、ジュウイチ(Cuculus fugax)と言うような鳥があげられますが、鳴き声はそれぞれ著しく違います。ホトトギスは古くから言われているように、本当に「特許許可局・特許許可局」と鳴いているように聞こえます。ウグイスは「法・法華経」と鳴いているように聞こえますが、このホトトギスとウグイスの鳴き声の「ききなし」は良くできたものの最右翼と言うことができるでしょう。両手で持てる程度の太さの筒の中にむかって「ポー・ポー」と鳩の声をまねてやると、ツツドリの鳴き声が出来上がります。ジュウイチも鳴き声から付けられた名前ですが、かなり思い込みがはげしくないと「ジューイチ」と鳴いているようには聞こえません。これらの鳥は、九州以北の森林に夏鳥として渡来して来ます。 

カッコウの特長としては、何を置いても「托卵」を上げなければなりません。カッコウはあの優雅な鳴き声からは想像もできない、ずる賢い、独善的な子育てを行います。いや、実際には子育てはしません。自分では子育てはせずに、自分の子供の養育を他の鳥に依託してしまいます。カッコウは、産卵の時期が来るとオオヨシキリ、モズ、アオジ、ノビタキと言うような鳥の巣を見つけ、その巣の主が産卵するのをじっと待っています。巣に卵が産み付けられると、カッコウは、巣の持ち主が気付かぬ内に自分の卵をその巣の中に産み落とし、すでにあった持ち主の生んだ卵を巣の外に捨ててしまいます。それとは知らぬ巣の主は、引き続き何個か自分の卵を生んだ後で抱卵に入ります。温められている卵の内の一個はカッコウの卵です。そして、必ずそのカッコウの卵から最初に雛がかえります。このカッコウの雛がまた生まれながらの狡猾漢で、親鳥がいない間に、まだ巣の中にある本当の巣の持ち主の卵を、自分の身体を上手に使って全部巣の外にはじき落とし、巣を独占してしまいます。そしてほかに雛の生まれて来る卵が無くなってしまった巣の中にはカッコウの雛だけが残り、巣の主、例えばそれがノビタキだとすると、ノビタキがカッコウの育ての親となります。他人の、いや他鳥の子と知ってか知らずか、ノビタキはせっせと餌を運び、巣の中に一羽だけ残されたカッコウの子供を育てます。カッコウは成長すると鳩くらいの大きさになりますので、育てられている間に親のノビタキを追い抜き、巣立ちの前には育ての親の三倍位の大きさになります。そして、ある日突然親を捨てて飛び去ってしまいます。私としては、私の尺度で、育ての親のノビタキの空しさたるやいかばかりなものであろうか、などと思ってしまうのですが、ノビタキにしてみれば、子育てを終えた充実感こそあれ、空しさなどと言うようなものとは全く無関係なのかもしれません。きっとそうに違いありません。彼らは最後まで自分の子供であると信じて育てて来たに違いないのですから。自然界には似たような営みは他にもたくさんあるようです。ファーブルの昆虫記には虫の世界での似たような話が紹介されています。

カッコウは「閑古鳥」とも呼ばれ、俳句の季語になっています。もちろん、北原白秋の「落葉松」にも、
     
     からまつの林の雨は     
     さびしけどいよよしづけし     
     かんこ鳥鳴けるのみなる     
     からまつの濡るるのみなる

と出てくるように、俳句の世界だけのものではありませんが、昨今では、さびれた=閑古鳥が鳴く、がしっかり定着してしまったためか、カッコウ=閑古鳥の等式が成り立ちにくくなってしまっていて、一般にはあまり使われなくなってしまったようです。カッコウの鳴き声が聞ける一杯飲み屋なんかがあっても面白いようにも思うのですが。
 

ベートーヴェン 交響曲第六番 ヘ長調 作品六八番 「田園」 

ベートーヴェンの九曲の交響曲の中で、いわゆる標題音楽の形をとっているのは、この第六番「田園」だけです。ベートーヴェン自身が「田園生活の思い出」とことわりを付している通り、ウィーン郊外、ハイリゲンシュタットの自然の中で過ごした保養の日々の思い出が音で綴られています。完成は一八〇八年、三八才の時で、この頃には、それから十数年後にはベートーヴェンから完全に聴覚を奪ってしまうことになる耳の病気がかなり進行していて、ハイリゲンシュタットでの保養も耳の病気をいやすためのものでした。それだけに、この曲を聴くたびに、第二楽章「小川のほとりの情景」の中に出てくる小鳥たちの歌声が、ベートーヴェンの病む耳にどれほど優しく響いたことであろうかと改めて思うのです。カッコウ(クラリネット)のほかにも、ナイチンゲール(フルート)やウズラ(オーボエ)の声も聞こえてきます。 



マーラー 交響曲第一番ニ長調 「巨人」 

私は、ベートーヴェンの交響曲の中で、標題音楽の形をとっているのは「田園」交響曲だけだと書きました。しかし、マーラーは自分の作る音楽だけではなく、すべての音楽に隠された標題を求めた人です。彼自身の言葉によれば、『ベートーヴェンの交響曲にも標題が内在しており、これら作品を深く知るにつれて、感情と思想が正しく続いていることについての理解力が増進する。』『ベートーヴェンからこのかた、内的標題を持たない現代音楽は存在しない』(注1)と言うことになるようです。つまり「田園」以外の交響曲にも内的標題が付いていると言うのです。マーラーの標題音楽に対する考え方について詳しく知るために、少々長くなりますが、彼がフォシヒェ・ツァイトゥンク紙の批評家マックス・マルシャクにあてた、一八九六年三月二六日付の手紙を引用することにします。 

『 音楽を標題に合わせて創作することが陳腐きわまりないように、音楽作品に標題を付けたいと思うことも、不満足かつ不毛であると私は考える。このことは、作曲家の実際経験が、音楽で表現できるほど具体的な場合に音楽創造の機会を見出し得る、と言う事実によっても、いささかも変わるものではない。・・・  
以上のように述べたあとで、私がハ短調交響曲(交響曲第二番「復活」、著者注)について若干あなたに説明するのは少々具合が悪い、と思うことはご理解いただけるだろう。私は第一楽章を「告別式」と名付けた。さらに事情を言えば、ここで私が埋葬しようとしているのは、第一交響曲の主人公なのである。私はこの主人公の人生を、より高所からの澄んだ鏡に映し出しているのだ。それと同時に、大問題がある。なぜ君は生きたのか。なぜ君は苦しんだのか。人生は恐ろしい冗談にすぎなかったのか。われわれが生き続けなければならないのなら、否、ただ死に続けなければならないのであれば、これらの問題をなんとかして解決しなければならない。こうした呼びかけが人生で鳴り響いたときには、誰でも解答を与えなければならない。私はこの解答を、最終楽章で与えている』(注2)  

マーラー自身も、標題に合わせて音楽を作ることは陳腐きわまりないと言っています。ですから、第二交響曲「復活」の第一楽章は、「葬式」の情景を音で表したと言う意味での標題音楽ではなく、第一交響曲の主人公「巨人」の埋葬を音楽で表現したもの、つまり「巨人の埋葬」がマーラーの言う内的標題と言うことになるのでしょう。これと同じような意味での標題はマーラーのすべての交響曲に含まれています。そして、マーラーがベートーヴェンの交響曲にもこのような内的標題が付いていると考え、その内的標題を曲を解釈する上でのよりどころとしたことに殊さら異を唱えなければならない必要も無いように思います。マーラーは今日でこそ、十九世紀末のウィーンを代表する作曲家と言うことになっていますが、生前は指揮者として広く知られた存在で、もちろんベートーヴェンの交響曲も幾度となく演奏しています。自らの作曲衝動の基盤となっているものと照らし合せながらベートーヴェンの交響曲を解釈してゆくと、マーラーには、ベートーヴェンにこのような音楽を書かさずにはおかなかった衝動の根源のようなものが見えてきたのでしょう。そしてそのようなものを、「内的標題」と表現したのであろうと思えます。 

交響曲第一番「巨人」が現在の形に落ち着くまでには幾多の改訂が繰り返されました。作曲は二四才から二八才にかけて行われましたが、第一稿は一八八八年、第一楽章と第二楽章の間にブルミーネ(「花」)と題された楽章が挟まった五楽章・二部の交響詩として発表され、マーラー自身の指揮でブタペストで初演されました。四年後にハンブルグで演奏された時には、各楽章毎にコメントがつけられ、カッコウばかりでなく、ほかにもたくさんの小鳥の声が聞ける第一楽章には、「限りない春、序奏とアレグロ・コモド、序奏は長い冬の眠りからの自然の目覚めを描写」と言うコメントが付けられていました。更に一八九六年のベルリンでの演奏会では「花」の楽章がはずされ、四つの楽章からなる交響曲第一番として演奏されました。そして三年後の一八九九年になって初めて交響曲第一番ニ長調「巨人」として初版が出版され、ようやく現在普通に聴かれるような形になって定着したのです。第一稿脱稿から初版出版までの間が事実上の推敲期間であったとすれば、実に一〇年もの間演奏を重ねつつ推敲を重ねていたことになります。最初の交響曲を作品としてまとめ上げるのに大変苦労したことが分かります。それもそのはずで、マーラーはその生涯に九曲(事実上は十曲、未完成曲を含めると十一曲)の交響曲を作りましたが、自然の描写、生命賛歌、死の恐怖、神秘と恍惚、心霊的世界への憧れ、苦悩、諦観、等々、マーラーの交響曲に使われているテーマのほとんどすべてがこの第一交響曲の中に包含されていて、若年時の交響曲第一番は、あたかもマーラーの全交響曲のエッセンス集を思わせる作品になっています。 

マーラーの交響曲を通じて、私には、彼がいかに大まじめに人生の意味を解明しようと努力したかがよく分かります。そして、それがいかに不毛の努力であったかと言うこともよく分かります。マーラーにとって、人生とは避けられない死を前提とするつかの間の生でしかなかったようです。だから、積極的に運命に戦いを挑み続けたベートーヴェンと比較すると、マーラーの苦悩は何ともめめしいものに見えてしまいます。私には、マーラーの叫びは、ただ「死にたくない、死にたくない」と泣いているだけに聞こえます。不可避の死を越えて、その先に希望を見い出そうとすれば復活しかあり得ません。マーラーは、交響曲第二番で、第一交響曲で埋葬した主人公「巨人」を早々と「復活」させてしまいます。しかしその後はいくら苦しんでも「復活」を超えるだけの希望は生まれて来ません。それ故でしょうか、後に続く交響曲は、夢や希望よりも諦観や運命の受容が強く滲み出たものになってしまっています。 

それにしても、マーラーの音楽は不思議な音楽です。言ってみれば、八宝菜とか五目うま煮のように、何もかもがごたごたと詰めこまれ煮込まれたような音楽ですが、病みつきになるとちょっとやそっとでは抜け出せません。 


ディーリアス  「春最初のかっこうを聞いて」  

ディーリアスはどこの国の作曲家と言うべきなのでしょうか。生まれ(一八六二年)はイギリスですが、両親はドイツ人で、基礎教育はイギリスで受けたものの、二十歳以降は、ディーリアスにとってイギリスは訪問する国でこそあれ住む国であったことはありません。アメリカ在住中に黒人霊歌の影響を受け、ライプツィヒ音楽院在学中にはワーグナーやチャイコフスキーの音楽に触れ、同時にスカンジナヴィアの音楽家とも親交を持ちました。主たる生活の地はフランスで、パリ東南六〇キロのグレ-ス-ロワン (Grez-sur-Loing) と言う寒村に住み一九三四年にそこで亡くなりました。和声法や対位法を習得する意義を認めず、既成の音楽形式とは全く無縁で、いかなる制約をも受けずに、ひたすら、あたかも音で絵を描くように、彼が詩的と感じ情緒的と感じる世界を彼自身が最高と信じていた「流れる感じの音楽」に描いて行きました。ディーリアスの音楽はディーリアスだけの音楽で、他のどの作曲家にも類似点を見つけることは困難です。演奏や録音で取り上げるのは圧倒的にイギリスのオーケストラやイギリスの指揮者が多いように思われますので、イギリス人は自国の作曲家として認知しているのでしょう。 

「春最初のかっこうを聞いて」は、いかにもイギリスの風景を思わせるような曲ですが、ディーリアス自身はこれはフランスの田園を描写したものであると説明しています。とは言うものの、この曲にはグリーグの「ノールウエイ民謡、作品六六」から「オラの谷間で(In Ola Valley, in Ola Dale)」の旋律も借用されています。しかしディーリアスの巧妙なオーケストレーションによって原曲の面影は見事に消し去られ、彼が好んだ「流れる感じの音楽」に仕立て上げられています。カッコウの曲なので当然のことながら、クラリネットのカッコウがしきりに鳴いています。 

日本ではカッコウの声は夏にならないと聞けないので、もしディーリアスがこの曲を日本で作っていたら、題名は春ではなく「夏最初のかっこうを聞いて」になっていたはずです。 


レスピーギ 組曲「鳥」から 第五曲「カッコウ」 

レスピーギは一八七九年、イタリアのボローニャに生まれ、ボローニャの音楽学校を卒業した後、ロシアでリムスキー=コルサコフについて作曲を学んだ人です。ドイツではマックス・ブルッフに教えを乞うたこともあります。有名なローマの泉、ローマの松、ローマの祭のローマ三部作が示しているように、巧みな風景描写と色彩感豊かなオーケストレーションがレスピーギの身上で、この作曲家の生みだす音楽の世界は、まさに理屈抜きに音楽をエンジョイしたい人のためのものと言えるでしょう。 

組曲「鳥」は、序曲、鳩、雌鶏、夜鳴きうぐいす、カッコウの五曲から成っていますが、それぞれには、もとうたともいえる、イタリア、フランス、イギリスの既存の古いメロディーがあって、それらのメロディーはレスピーギ流のオーケストレーション技法によって華やかな管弦楽曲に仕立て上げられています。カッコウの鳴き声は、ほとんど変更が不可能なほど単純な三度の音程の二音から成り立っていますが、「カッコウ」でのレスピーギの見事なオーケストレーションは、オーケストラをこの素っ気ない二音に釘付けにしたまま曲を展開させて行きます。しかも大団円に近づくとこつ然とそこに序曲の一部が現れて、序曲そのものが既にカッコウの二音の上に成り立っていたことを知ることになります。レスピーギの面目躍如、見事なオーケストレーションです。










(注1)ショーンバーグ「大作曲家の生涯」下巻79ページ、共同通信社
 (注2)ショーンバーグ「大作曲家の生涯」下巻79ー80ページ、共同通信社

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